

○●○メッセージレジュメ○●○
毎週の礼拝と祈祷会のとき牧師先生が作ってくれるレジュメを
掲載します!!!更新遅ですが…まぁ目を瞑ってください;
結構打ち込み大変なんです(笑)
A.導入
・イースターおめでとう御座います。教会では、イエスさまがお生まれになった「クリスマス」を12月にお祝いしますが、もう一つ、イースター(復活祭)もお祝いします。イースターは、主イエスさまが十字架に架かって死んで、三日後に「よみがえられた」ことをお祝いします。私たちの国・日本を始めとして、地球の北半球の国々では、イースターは毎年春の初めの時期になります。先日は、お隣の根芝さんのご主人が、ダリアの球根を沢山下さいましたが、春は植物の世界でも、新芽や若葉が新鮮な息吹を感じさせてくれます。主イエスさまはよみがえられて、今も生きて働いて居られることを、このイースターに今一度はっきりと信仰を持って、感謝をささげたいと思います。私の夢は、何時の日かイースターに、皆で賛美礼拝をささげることを願っています。(お祈りをします。)
・今朝は、ルカの福音書24章全部を読んでいただきましたが、1〜3節をもう一度ご一緒に読みましょう。「週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。入って見ると、主イエスのからだはなかった。」です。主イエスさまは、金曜日午前9時頃に十字架に架けられて、午後3時頃息を引き取られました。そして、夕方の6時の安息日が始まらない内に、大急ぎで「まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓に」埋葬されました(23:53)。生前イエスに従って、いろいろと仕えていた女性たちが、週の初めの日の朝早くに、イエスが埋葬されたお墓に、香料などをもって行きましたが、お墓の入り口の大きな石がころがしてあって、入ってみると主イエスのからだがなかったのです。不思議な事が起こったのです。まだ一度も誰をも埋葬した事のないお墓に、ヨセフという議員さんや女たちが、確かに埋葬されたのを見届けたのです(23:55)が、三日後の早朝にお墓は空になっていたのです。入り口の石には、「封印」がしてあり、周りには番兵がずっと寝ずの番をしていたのにです。これはマジックではありません。私たち人間に知らされていないミステリーです。この後、四十日間の間に十回位、主イエスさまがお姿を弟子たちや、大勢のエルサレムの人々の前に、現されました。この四十日間の出来事は、歴史上最も重大な出来事でした。勿論、四つの福音書すべてに記されています。この四十日間の主イエスの
いちほ
今日は鈴木先生が来てくれました。レジュメがないので大体の内容を簡単に…
誤字脱字・変な文法などあったら教えてくれると嬉しいです。
聖書箇所:マタイ26章36〜46節
アメリカ旅行によって「祈り」について教えられた。祈りを通して、全ての恵みが与えられた。でも祈ることは簡単ではなかった。先ず一番は、時間がないこと。息子のけんじの介護で祈る時間がほとんどなかった。その中で決心したことがある。それは『どんな状況でも祈りを優先すること』。時間がないとは言わない。時間を作ろう!!!と決心した。その結果、1日最低1時間は祈る時間を作る事ができた。祈ることは自分の力ではできない。神様の力によって祈れるんだ、という事を知った。神様の力は弱さのうちに完全にあらわれます。こうして私の祈りの時間は神さまと親しく交わる最高のときとなった。"いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。"(聖書)このことによって神様は恵みを与えてくださる。そしてこれは、キリスト・イエスによってできること。いつも神様が祈りの後に、「お前の祈りはもう聞いたよ」といってくださるから、いつも「この祈りを既に聞いてくださったことを感謝します。」と祈るようにした。また、いつまでも祈りが聞かれないとき。そのとき、神様からのことばをいただいた。神様は「時が来たら必ず成就するから待っていなさい」といってくださった。
祈り、とは。【失敗しないため、誘惑に負けないため、勝利するために絶対的に必要な事】
イエス・キリストの登場マルコ1章9〜15節 2007年09月23日
いよいよ福音書の主役イエス・キリストの登場です。
イエスのバプテスマ
ヨハネが授けていたバプテスマ(洗礼)は、「罪の赦しのための悔い改めのバプテスマ」(1:4)でしたから、罪のない神の御子イエスさまは受ける必要はないのです。でも、イエスさまはご自身から望まれたのは、イエスさまの謙遜のあらわれであり、すべての人と同じようになることを望まれたのです。
バプテスマを受けられたときに、天から『あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ』との声が響いて、イエスさまの洗礼式に苦難のしもべとしてのメシヤ任命式の意味合いが与えられていました。
荒野のイエス
イエスさまが、強いて追いやられた「荒野」とはどういうところでしょうか。荒野という言葉は、「捨てられた野」ということで、人のいないところでもあります。主イエスはそういう所でサタンの誘惑を受けられました。イエスがサタンの誘惑を退けた後、「野の獣とともにおられた」ことから、人間と獣たちが仲良く生きている様は、サタンとの戦いに勝利して、再びパラダイスを勝ち取ったことを現しています。
ガリラヤ宣教開始宣言
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
この言葉には三つの大きなことが述べられています。
「時が満ち」
「神の国が始まる」
「悔い改め」
イエス・キリストが救いだ、という「良い知らせ(Good news)」を信じる信仰にかかっているのです。ここから、まったく新しい救いの時代が始まったのです。
まとめ
?イエス・キリストは人々と同じようにバプテスマを受けられた
?神様は、そのイエスさまを荒野に追いやったが、イエスさまは誘惑に打ち勝たれた。
?ガリラヤからの福音宣教宣言「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」
神の子イエス・キリストの福音のはじめ
マルコ1章1〜8節 2007年09月16日
新約聖書は、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの順に編集されていますが、一番最初に書かれた福音書はこの「マルコの福音書」なのです。
AD50年代の中頃にローマで書かれたといわれています。
福音のはじめ
マルコ1章1節では「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」(The beginning of the gospel about Jesus Christ, the Son of God.)とダイレクトに書き始めています。
福音とは「よい知らせ」(Good news)のことです。良い知らせを聞いたら、誰でも喜びますよね?
つまり、マルコはイエス・キリストつまり、救い主の喜びの御業が始まったことを簡潔に表現しているのです。
洗礼者ヨハネ
洗礼者ヨハネは荒野にいましたが、神に選ばれた人でした。
神が私たちのところに来られる、それが始まるのだ、それがヨハネの出現であるとマルコはいうのです。
また、荒野は先祖たちがそこで神のみ声を聞きながら歩んできたところでもあります。
人々に「罪の赦しのための悔い改め」をのべ伝えました。
悔い改めとは、気持ちの方向転換です。
私たちも、イエスキリストと共に喜びの人生を歩んでいきましょう。
あなたの町の繁栄を祈れ エレミヤ29:4~7 2007年09月09日
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今日の御言葉 エレミヤ29:7 ![]()
わたしがあなたがたを引いて行ったその町の反映を求め、そ ![]()
のために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの反映になるの![]()
だから。 ![]()
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時代や背景の異なる現代にも、この御言葉を置き換えることができます。
毎日の生活の中で、予想もしなかった状況の中にいることがあります。
自分の思い描いていたようにはならない時はそれをどうとらえて生きていくべきでしょうか。
「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」(ヘブル13:5)
神様が共にいて最善のことをしてくださいます。
言い換えれば、「神様の御手の中で、神様の責任の中で」
私たちは仕事・家族・教会生活を御言葉通りに誠実に生きていくことが最良なのです。